http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1801/25/news079.html
1947年に発売された梅の花本舗(東京都荒川区)の駄菓子「梅ジャム」が、2017年12月をもって
製造を終了していたことが分かりました。唯一の作り手である高林博文さん(87)が体力に限界を感じ、
創業70年の節目に引退を決意したのが主な理由です。
「梅ジャム」は、梅肉に砂糖やでんぷん、小麦などを加えて煮詰めたペースト状の駄菓子。
紙芝居で販売する駄菓子のラインアップが数少なかった当時、せんべいに塗って味を変えられるような
一品があれば人気が出るのではと考え高林さんが開発しました。以降、遊び疲れたときに食べると
しょっぱい味がアクセントになるとして、関東を中心に長きに渡って愛されて続けてきました。
梅の花本舗に取材したところ、商品は創業当時から高林さんが1人で製造しており、手作業の割合も多く
87歳の身体ではもう作るのが難しいとのこと。作り方も誰にも教えておらず後継者もいないため、
製造終了に至ったといいます。賞味期限は1年で、市場に出回っている在庫分が最後の「梅ジャム」となります。
1月下旬にTwitterで、梅の花本舗の廃業を知ったという趣旨のツイートが2万回以上リツイートされるなど
話題になっていました。「惜しすぎる」「何だか寂しい」「行かないで、私の昭和」「せんべいにつけて食べるのが
大好きだった」と、昭和の味が消えゆくことを悲しむ声が寄せられています。
(出典 image.itmedia.co.jp)
前スレ
http://asahi./test/read.cgi/newsplus/1516856001/
1が建った時刻:2018/01/25(木) 13:53:21.64
個人が支えていたことに驚き
70年前ってことは17歳のときから作ってきたのか
すごいの一言
これも文化なのに惜しいなあ
独りで全国に流通させたのが凄い
買った事も食べた事も無いけど・・
昔は梅ジャムはどこにでもあったぞー
ちなみに俺は昭和50年生まれ
しかし、1人でやってたとはつくづく驚きだ
この商品が一つ十円とかで全国の駄菓子屋で売られてペイする
製造-流通-小売ネットワークがすごいわ
人間国宝
_ノ乙(、ン、)_>>19 子供達が小銭で買い物をして、社会性を身につける場が駄菓子屋だったわけで
そのジャムをどうするんだ?まさか単体で食うんじゃないだろうな
苺ジャムでもパンに塗るのに
>>27
端っこ切ってチュウチュウするも良し、余裕があればミルクせんべいに塗るも良し
これ見たら急に食いたくなった・・・・(´・ω・`)
今まで作ってたのが凄すぎる
えびせんべいにぬってラメックかけて食う
ウマー
えええええ。めっちゃ食べてたわ
まじかよ…
昭和がまた一つ消えていく
梅ジャムに似た代替え商品、どなたか知ってたら教えてください!つらぁ…
知らんなあ
ベビースターラーメンとよっちゃんイカと吹くと音が鳴るラムネしか記憶ない
俺らが中学の頃は、駄菓子屋で、さわやか飲みながら、かつ当たり食うのが定番だったよな
レシピは墓までもっていくってとこが潔い
高林氏は82歳。まだまだ壮健だが、梅ジャムづくりの後継者はいない。というより、高林氏がつくらなかった。
「私は国民学校の出身ですが、戦時中は勤労奉仕があり、小学校6年までしか勉強していません。そんな私でも梅ジャムを世に広めて、地域社会にも貢献してきました。ですから、息子たちが中学生のころに、『そんな父以下にはなるな。自分で道を切り開け』と言ったのです」
そのため、フル稼動の時代でも、子どもたちに手伝いを頼まなかった。
かっこいい(´;ω;`)
16歳んとき誕生させたんだって
>>55
男前過ぎる
「14歳で終戦を迎えて、疎開先の富山から東京の荒川区に戻りました。とにかく食わなければいけないわけです。15歳で千葉の浦安まで自転車で行って魚を仕入れ、みかん箱の上に置いて売りました」
荒川から浦安ですって…
また一つの歴史が終わったか
「梅ジャムは自分が作り始めた商品だから自分で閉じる」
誰か後継いでよ
じっちゃんお疲れ
ミルクせんべい2枚に挟んで食うと美味かったな
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